CRAFT SPACE わのBLOG

2015年4月28日 02:56

現在、渋谷の実店舗では、一昨年12月に開催したMexico の Folk Craft 展の第2弾として上記の催しを開催しております。


大変遅くなりましたが、展示の様子をお目に掛けたくて、久々にブログを更新しました。

今回は、メキシコの工芸品に限らず周辺のラテンアメリカ諸国の物、およびラテン由来のスペインなどの
古い陶器なども併せて販売しております。

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2014年10月 8日 03:12

永年、柚木沙弥郎が夢に描き、準備してきたパリ展が8日より実現しました。

92歳になって、長時間飛行機に乗らなければならない旅は、少々不安でしたが、元気に旅立ち、現地からの写真も送られてきました。

色彩の舞い
2014年10月8日(木)~2015年1月12日(日)
フランス国立ギメ東洋美術館 日本フロア特別展示室

La Danse des formes
  Textiles de Samiro Yunoki
                                               
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2013年1月 5日 23:55

 

今年は蛇年ですね。

 

 蛇というと、日本では水や田の守り神であり、また世界中のいたるところで、脱皮をすることから再生・永遠のシンボルとして崇められてきました。

 

 

さて、フィンランドでは蛇*はどんなものだったのかというと・・・。蛇が生息できる南・南東フィンランド地域に限定されますが、ペットのように飼うという風習がありました(フィンランドでは1600年の初めから、その風習に対する記録が残っています)。そこでは、蛇は暖炉のそば・サウナ・床下・納屋など、冬でも暖かい場所で大切にされ、毎日、最初に牝牛から搾った乳は蛇に与えられました。というのも、蛇はその家と、特に牝牛を守る主のような存在としてこの地域では受けとめられていたためです。

 

 こんな昔話が残っています。

 

  家の納屋に蛇が住んでいました。女主人は毎日その蛇に牛乳をあげていました。ある日、新しい男の使用人がやってきました。彼は納屋で蛇が守り神のように飼われていることを知りませんでした。

 ある日、仕事を終えた男が、女主人にこう言いました。「納屋に大きな黒い蛇が来たから、始末したよ」と。女主人は真っ青になり、こう言いました。「おまえは今、この家で一番の牝牛を殺してしまった」と。納屋に2人で行ってみると、案の定、一番の牝牛は死んでいました。

 

 蛇と家の牝牛がまるで運命共同体のように考えられていたことが伺える昔話です。他にも、蛇に牛乳を与えている家では、牝牛がたくさん乳を出してくれ、ひいては家が栄えると信じられていました。

 

 

*この蛇は、フィンランド語ではrantakäärme(ランタカールメ)。ヨーロッパヤマガカシの仲間。ヤマガカシといってもフィンランドの蛇に毒はありません。


2012年9月11日 04:23

日本橋髙島屋 「用と美とこころ 民藝展」は、9月10日に無事終了いたしました。

会期中、どちらのコーナーにもお客様が大勢いらして、大変盛況でした。
私どもの展示は、中央民芸のご協力で、松本民芸家具と組み合わせた形の展示となり、おかげさまで、生活のシーンを想像できるような展示をすることが出来、ご来場の皆様には、お楽しみいただけたのではないかと思っております。

期間中、お買上、ご注文をたくさん頂き、本当にありがとうございました。
ご注文くださいました皆様には、納品までに長い猶予ををお願いし、わがままを申し上げまして、申し訳ありません。私どもの事情をご理解いただきまして、本当にありがたく思っております。順次、制作に入り、お伝えしておりましたより、少しでも早くお納めできるように努力致しますので、どうぞ、少し気長にお待ちくださいますよう、あらためてお願い申し上げます。


2012年5月13日 04:17

新緑ですね

 

緑がきれいですね、このところ。

 

新緑の季節は、フィンランドでもあとひと月もすれば始まる頃です。白樺のみずみずしい黄緑色の小さな葉っぱが、生まれたての赤ちゃんみたいに輝きます。この頃は、「フィンランドって、本当に爽やかなんだわー」と、冬の長かったことも忘れてうっとりしていました。今日は、そんな時の何気ない思い出をひとつ。

 

6月の終わりごろ、私は友のミンナさんと彼女の叔母さん、叔母さんのだんなさんとドライブをしたことがありました。その時も、白樺の葉が太陽の光をあびて、チロチロ・キラキラとまぶしいくらいでした。

 

叔母さんはハンドルを握りながらも、目に入ってくる緑に魅了されていたせいか、

「おお、緑、緑、緑!」と、子供のように歓声をあげています。しかも、運転している間中ずっと・・・(運転にはそれでも支障はないようでしたが)。

 

 私の友達は、叔母さんとは仲良しなので遠慮なく、

「そんなに何度も言わなくたっていいじゃない!」と、呆れて怒っていました。それでも叔母さんは言い続けていたように記憶しています。強い。私もじつは、心の中で「緑だ、緑だ」とウキウキしていたので、おばさんのことは何も言えません。

 

新緑の季節もあっと言う間に過ぎてしまうのですが、あともう少し楽しみたいですね。

                                    (永井涼子)


2012年4月17日 13:01

 

 先日、フィンランドの女友達と国立の夜桜を見に行きました。

 

桜並木が、大学どおりに沿ってふわーっと咲き誇り、ちょうどいい時期でした。

その桜の木の下で、クリーム色の髪を肩までふんわりと下ろしている彼女は、まるで桜の精のようで、じつは私はちょっとドキドキしてしまいましたヨ。

 

 それから、桜が見渡せる夜の喫茶店でお茶を飲むことにしまして。

桜を見ながら、近況やこれからのことを語り合っていたら、「異国にいて、恋しくなる景色は何か」というお題になっていきました。

 

彼女にとって、それは「水の景色」でした。

 

「フィンランドでは、いつも水の近くにいたから。実家の目の前に湖があったし、大学のあるヘルシンキでも、海がすぐ近くにあった。日本だと太陽は、山やビルに隠れてしまうけど、水ぎわだと、沈んでいくのも昇るのも最初から最後まで見えて・・・。」

 

「そうそう、あの静かにどこまでも広がる水平線は、海と空が交じり合って、なんだか心がすーっと穏やかになっていくんだよね」と、ひとしきり会話に花が咲きました。

 

 「あなたは?」 と聞かれて、

 「私は、桜を思っていたなぁ」と、言いました。

 

思えば、冬のフィンランドで、雪が木の枝にほっかりと積もっている景色が好きでした。それは、桜の花が満開に咲いているように見えたので、それがうれしかったのです。「森へ歩いて行って、そんな雪が降り積もった木を、眺めたこともあったんだ」と、彼女に伝えました。

 

 喫茶店から、駅へと向かう帰り道、私には不思議なことがありました。

 

桜を見ていたら、フィンランドで降り積もっていた雪を今度は思い出してしまった・・・。

                     (永井涼子)

 


2012年4月10日 10:39

トマト

 

 トマトがあると、けっこう嬉しかったりしませんか?

赤く丸く、緑のヘタをちょこんとつけたその姿。夏はそのまま塩をつけていただくだけでおいしい。

 

 トマトにはけっこうお世話になっている。

フィンランドで始めての一人暮らしの時は、市場によく"トマト袋"を買いに行った(トマト袋は勝手に名づけたのだけど)。熟れすぎたトマトが袋にパンパンに入れられていて、1ユーロか2ユーロで売られているものだ。それを使って、トマトソースをよく作り、スパゲティばかり食べていた(ようは、私に料理の腕がなく、満足に作れるのは当時それくらいだったのだ)。まるで、イタリア人並みに食べていたのではないだろうか。

 

 トマトをよく食べていたせいか、縁あって、夏にフィンランドのトマト農家でアルバイトをすることになった。ビニールハウスで栽培されているが、日が沈まない白夜も関係して、トマトの生長は早い。農家にしてみれば、猫の手も借りたい忙しさだったのだろう。

 

 バスにゆられてたどり着いた農家では、だんなさんとおかみさんが迎えてくれた。まず、だんなさんは、どんなトマトがAクラスで、小ぶりだったりするとBクラスになるかを教えてくれる。そして、摘み取ったトマトをAのカゴかBのカゴにいれるのが仕事だった。「はい、わかりました!」と返事はよかった私だが、いざ始めてみると「君は、大きいのか、小さいのか?」とトマトに心の中で聞いてばかりいた。トマト一つでも、AかBかなんて単純に割り切れるものではないなと思った。

 

 そんな思いを察したのか、だんなさんとおかみさんが飛んできた。おかみさんは、私がBのカゴにほおったトマトをみて、

「まぁ、これは王様のトマトよ!Aでしょ!」

と、驚きの声をあげた。わたしにはトマトを見分ける才能(?)がないのだと、瞬く間に落ち込んだ。が、次の瞬間だんなさんが、

「え、そう?これでいいんじゃないの?」

と、言った。3人の間を、戸惑いの空気が流れていった。

 

 今でもトマトを見ると、あの時の情景が思い浮かび、ときどき苦笑する。バイトを終えて帰るときに、おかみさんが山のように熟したトマトをお土産にくれたことはいい思い出だ。でも、やっぱり本音を言えば、トマトが大きかろうが小さかろうが味に変わりはないと思った(やっぱり向いていなかったのね・・)。でも、夜、目をつぶると鮮やかなトマトの大群がまぶたの裏に浮かんでくるという不思議な感覚があって、あれはオモシロかったな~。

 

 最後に、蛇足だけど、トマトは体を冷やす作用があるとのこと。冷え性の人は、たくさん食べるとしんどくなりますよ、ご注意!私も気をつけようと思います。

(永井涼子)

 

 


2012年3月 5日 17:40

久々に、永井さんが文章を送ってくださいました。

ここのところ間が開いているな、と思ったら風邪ひきだったのですね。

どうぞ、お大事に!

 

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最近、風邪をひいてしまいました。

 

じつは今も進行中。周りの人はよくひいていたのだけど、自分だけは大丈夫と高をくくっていたのが運のツキ。子供の頃は、「暴れん坊将軍」の再放送を気楽に見ていただけの風邪ひきだったのに。でも大人になると、「早く治さなきゃ」と焦るばかりのこの頃だ。

 

それで色々やってみた。蜂蜜とショウガを摩り下ろしたのを飲んだし、知人から進められたニンニク焼きにも挑戦してみた(生焼けだったらしく、涙がでるほど胃にきてしまった)。一進一退を繰り返している気がする。

 

 今朝もうつらうつらしていた。が、その時に黒いマントが翻っている夢を見た。起きて思い出した。あれは、かつてのルームメートの女の子。ドイツ人で、とてもきれいな人だったけど、なぜか、いつも全身黒ずくめ。筆箱やシーツなど身の回りのものも、黒一色に染まっていた。時々、服の裏地が赤いこともあったりして、ドキッとしたこともあった。性格もいいし、黒より他の色を着ても似合うのにと、よく思った。でも、逆に黒が彼女の魅力をいっそう引き立てていたのかもと今は思う。

 

そんな彼女は、フィンランド人のボーイフレンドがすぐできた。5人暮らしの女の子だけのアパートに、彼は緊張するでもない。いつも気楽に台所でコーヒーを飲みながら、みんなと談笑していた。すぐに景色の一部のように、みんなにとけ込んでいたのは、見事というより他はなかった。

 

 ある日、そんな彼は風邪をひいた。それで彼女は、すぐにまず大きな鍋にお湯を沸かし始めた。

 

 お湯が沸いたら、彼女は持っているありったけのハーブティー、紅茶のパックを鍋に惜しみなく投げ入れる。ちょっとグツグツさせて、そのあと、芳香ただよう液体を洗面器に注いだ。最後に、ボーイフレンドに、洗面器のほうに顔を近づけるように言った。彼が恐る恐る(?)顔を近づけた後、彼女はバスタオルをパッと頭にかけて、数分そのままにさせていた。熱くなったら、何回かタオルから頭を出していたけど、たぶん30分くらいは続けていたようだった。治療はそれでおしまい。

 

 「へー、面白いなぁ」と、その頃、私はのんきに見物していた。あの後、彼が何と言っていたのか覚えてはいないけど、ますます黒ずくめの彼女にぞっこんになっていったのは間違いない。ずーっと、思っていた、「ルームメートは魔女みたいだ」と。あれは、治療というより魔術なのだと感じていた。

 

 今日、そのまねっこをしてみた。家には、ハーブティーはない。なので、ドクダミにした。バスタオルを頭まで被ってドクダミ茶の入ったボールに顔を近づける。「あら。この世にボールとドクダミしかなくなったような静けさが・・・」

蒸気がホカホカと顔をあたため、いままでぐすっていた鼻から息が吸える!汗をたくさんかいて、タオルをとったら、空気が爽やかだ。「汗をかくのも、風邪にはいい!」と、再発見した。

 

 蛇足だけど、これはプチサウナのようなものかもしれない。蒸気もでるし、ホワホワ暖かいので。そういえば、フィンランドでは病気の時の民間療法として、昔からサウナに入る・ウォッカを飲む・木でできたタールを傷口に塗るというのがありました。諺にもなっている。

 

「もし、サウナもウォッカも、タールも効かなかったらお手上げよ (死んでしまうよ)・・」 怖い・・・。

 

ちなみに、私にはなんとか、ドイツの魔女の技が効いてきたようです。まだまだお手上げにはならないゾ、フィンランドの諺さん。

                                    (永井涼子)


2012年2月 4日 10:36

冬の足先.jpg 昔、靴下を洗濯した後なぜか片方が見つからないことがよくあった。探している時は、大抵どこかへ出かける朝のことで、本当に大慌てだった。

 

 今は、靴下探しに翻弄されることは少なくなった。が、5本指の靴下がたんすに入っていない時は、「しまった!」と慌てることはよくある。5本指のそれはふとしたことでいただいて、そのすっかり病みつきになってしまった。指が一本ずつ分けられているせいか、普通の靴下のようなギュッとした感じがないのが、うれしい。

 

 フィンランドでも、愛用していた。履いていると決まって、

「カエルみたい」

「おサルの足?」

と、現地の人に訝しげに笑われる。それで、その汚名(?)を取り払うべく、「気持ちいいよ」と伝えるために、親しくしていた人にプレゼントをしたことがある。始めは、不思議がっていても、履いてみると良さが分かってくるものらしい。後日、日本からの友人が遊びにくるとたまたま話すと、「あれ、頼んでもいいかな?」なんて注文を受けることもあった。

 

5本指靴下が日本のものなら(たぶん)、逆にフィンランド、北欧ならではの靴下は「手編み」のものだ。もっていない人はいないと言ったら大げさかもしれないけど、それくらい使われる頻度は高い。夏でもサウナの後に、ほてった足先に何年も使い古されたそれをゆるりと履く。冬は、普通の靴下の上に毛糸の靴下を履けば、足先が冷えずにすむ(ちなみに、お家の中ではしっかりめのサンダルも、四季を問わずに履いている)。どこかのお宅に訪問する時も、カバンにこれをそっと忍ばせておく。そうすれば、少し寒さを感じたらそれをすぐにスッと出して、何気なく身につける(日本のように、来客者にスリッパをだす習慣はないので)。

 

 どこで手編みの靴下を手に入れるのかというと、もちろん小さなお店や市場(青空マーケット)でも買える。けれど友達を見ていると、大半は家族や親戚・または近所などの近しい人が編んでくれたもののようだ。「ちょっと編んであげたよ」と手渡してくれる。人の和から生まれてくるものなのねと、ジーンとした。ただそんなに特別なことではないようで、「フィンランドの靴下文化に感動したよ!」と、友達に伝えてもあまり分かってもらえなかったような・・・・

 

 

 それから、靴下を編めるようになりたくなり、たまたま遊びに行った友達のおばあちゃんに頼んでみた。友達のおばあちゃんが快く教えてくれることになったのだが、いままでマフラーしか編んだことの無い者には、「手編み靴下峠」越えは、まさにヒマラヤの如しだった。結局、峠に到達することは叶わず、下山した。後日、友達が「ほら、これおばちゃんが渡してくれって」と茶色の包み紙をくれた。中には桃色の靴下が入っていた。そういえば、おばあちゃんとお茶を飲んだ時に「あなたの足のサイズは?」と聞いてくれたっけ。

 

 結局、編めずじまいにいるけれど、おばちゃんが編んでくれた靴下はいまでも重宝している。

 

 (写真は、そのおばあちゃん靴下です。それと、冬になると大活躍のフェルトの部屋履きです。   永井涼子)  

 

 


2012年1月15日 23:17

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 風がピュルルーと吹きすさぶと、寒太郎の歌がどこからか聞こえてくる。

それは、「みんなのうた」(NHK)という番組で冬になると流れてくるメロディーだった。いまでも、寒さに震えながら歩いていると、口ずさんでしまう。

 

 「北風小僧の寒太郎、今年も町までやってきた~。ヒューンヒューン、ヒュルルンルンルンルンルン、さむーうござんす、ヒュルルルルルルン♪」

 

 歌っていると、寒い道を歩いているこの瞬間と寒太郎のうたが重なってくるのが、だんだん面白くなってくる。

 

 フィンランドでも、この歌には何度も助けられた。とくに、冬の初め、まだ雪も降っておらず、気温はプラス3度から0度くらいの時だ。周りの人は知らない歌だから、その時は人がいても小さな声で歌ってしまっていたような気がする。「そうか、寒太郎はフィンランドまでやってきてくれたのか、人情に厚いね」と、もし姿が見えるなら、肩でも組んで言ってあげたことだろう。

 

 ところが不思議なことに、気温がマイナスに達した時、寒太郎は私の前から姿を消してしまった。「寒い」という単語すら、頭から消えてしまったかのようだった。代わりにでてきたのは、「爽」という一文字だった。たしかに、空気はひんやりしているし、ダウンジャケットを着ているから大丈夫だったことも確かなのだけど、目の前に広がる白樺林は日の光を浴び、雪もきらめいて、そこは穏やかな静寂さに包まれている。空気の質が軽くなったようだった。

 

 こういう日に散歩をすると、一本の白い道をどこまでも歩いていけるように思えた。そんな時、聞こえてくるのはヴィヴァルディの「四季」の冬の部分だ。気持ちが落ち着いて、どこまでも見渡せる空と雪の情景がそこにはあるようだった。寒いとばかり思っていた冬が、一歩足を踏み入れると色々な表情で待ってくれていた。

 

 でもね、マイナス25度は・・・

 

 けれど、マイナス気温も20度を超えると、大変です。

それは、日本の友達と北極圏のはじまりの地、ロバニエミへ旅をした時のこと。

一晩、寝台列車にゆられ、極北の地にたどり着いた。私たちを待っていたのは、生まれて始めての零下25度だった。

 

「寒い!」という言葉は吹き飛んでしまった。寒い以上に、寒い!のだ。

もしも、北海道や東北で生まれ育っていたなら、きっとあの寒さを表現する言葉を発せられたのかもしれない。

 

 もう一つ、友達と笑いながら気づいたことは、「バビブベボ」が言えなくなったことだった。口が思うように動かなくなった。北の人々の言葉は、あまり口を動かさずにもいいようにできていると、誰かから聞いたことがある。真偽のほどは定かではないが、確かに気温があまりにも低いと顔の筋肉を動かすのも、なかなか大変なものだとその時は実感できた。

 

 なので、ここはもちろん、一個人の勝手な解釈なのだけど、フィンランドの冬は

「-3度から-10度くらいが、一番気持ちがいいような・・・」気がする。

でも、きっとどこかに-20度が好きな人もきっといるはず。

 

(永井涼子)