CRAFT SPACE わのBLOG

2012年2月 4日 10:36

冬の足先.jpg 昔、靴下を洗濯した後なぜか片方が見つからないことがよくあった。探している時は、大抵どこかへ出かける朝のことで、本当に大慌てだった。

 

 今は、靴下探しに翻弄されることは少なくなった。が、5本指の靴下がたんすに入っていない時は、「しまった!」と慌てることはよくある。5本指のそれはふとしたことでいただいて、そのすっかり病みつきになってしまった。指が一本ずつ分けられているせいか、普通の靴下のようなギュッとした感じがないのが、うれしい。

 

 フィンランドでも、愛用していた。履いていると決まって、

「カエルみたい」

「おサルの足?」

と、現地の人に訝しげに笑われる。それで、その汚名(?)を取り払うべく、「気持ちいいよ」と伝えるために、親しくしていた人にプレゼントをしたことがある。始めは、不思議がっていても、履いてみると良さが分かってくるものらしい。後日、日本からの友人が遊びにくるとたまたま話すと、「あれ、頼んでもいいかな?」なんて注文を受けることもあった。

 

5本指靴下が日本のものなら(たぶん)、逆にフィンランド、北欧ならではの靴下は「手編み」のものだ。もっていない人はいないと言ったら大げさかもしれないけど、それくらい使われる頻度は高い。夏でもサウナの後に、ほてった足先に何年も使い古されたそれをゆるりと履く。冬は、普通の靴下の上に毛糸の靴下を履けば、足先が冷えずにすむ(ちなみに、お家の中ではしっかりめのサンダルも、四季を問わずに履いている)。どこかのお宅に訪問する時も、カバンにこれをそっと忍ばせておく。そうすれば、少し寒さを感じたらそれをすぐにスッと出して、何気なく身につける(日本のように、来客者にスリッパをだす習慣はないので)。

 

 どこで手編みの靴下を手に入れるのかというと、もちろん小さなお店や市場(青空マーケット)でも買える。けれど友達を見ていると、大半は家族や親戚・または近所などの近しい人が編んでくれたもののようだ。「ちょっと編んであげたよ」と手渡してくれる。人の和から生まれてくるものなのねと、ジーンとした。ただそんなに特別なことではないようで、「フィンランドの靴下文化に感動したよ!」と、友達に伝えてもあまり分かってもらえなかったような・・・・

 

 

 それから、靴下を編めるようになりたくなり、たまたま遊びに行った友達のおばあちゃんに頼んでみた。友達のおばあちゃんが快く教えてくれることになったのだが、いままでマフラーしか編んだことの無い者には、「手編み靴下峠」越えは、まさにヒマラヤの如しだった。結局、峠に到達することは叶わず、下山した。後日、友達が「ほら、これおばちゃんが渡してくれって」と茶色の包み紙をくれた。中には桃色の靴下が入っていた。そういえば、おばあちゃんとお茶を飲んだ時に「あなたの足のサイズは?」と聞いてくれたっけ。

 

 結局、編めずじまいにいるけれど、おばちゃんが編んでくれた靴下はいまでも重宝している。

 

 (写真は、そのおばあちゃん靴下です。それと、冬になると大活躍のフェルトの部屋履きです。   永井涼子)  

 

 


2012年1月15日 23:17

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 風がピュルルーと吹きすさぶと、寒太郎の歌がどこからか聞こえてくる。

それは、「みんなのうた」(NHK)という番組で冬になると流れてくるメロディーだった。いまでも、寒さに震えながら歩いていると、口ずさんでしまう。

 

 「北風小僧の寒太郎、今年も町までやってきた~。ヒューンヒューン、ヒュルルンルンルンルンルン、さむーうござんす、ヒュルルルルルルン♪」

 

 歌っていると、寒い道を歩いているこの瞬間と寒太郎のうたが重なってくるのが、だんだん面白くなってくる。

 

 フィンランドでも、この歌には何度も助けられた。とくに、冬の初め、まだ雪も降っておらず、気温はプラス3度から0度くらいの時だ。周りの人は知らない歌だから、その時は人がいても小さな声で歌ってしまっていたような気がする。「そうか、寒太郎はフィンランドまでやってきてくれたのか、人情に厚いね」と、もし姿が見えるなら、肩でも組んで言ってあげたことだろう。

 

 ところが不思議なことに、気温がマイナスに達した時、寒太郎は私の前から姿を消してしまった。「寒い」という単語すら、頭から消えてしまったかのようだった。代わりにでてきたのは、「爽」という一文字だった。たしかに、空気はひんやりしているし、ダウンジャケットを着ているから大丈夫だったことも確かなのだけど、目の前に広がる白樺林は日の光を浴び、雪もきらめいて、そこは穏やかな静寂さに包まれている。空気の質が軽くなったようだった。

 

 こういう日に散歩をすると、一本の白い道をどこまでも歩いていけるように思えた。そんな時、聞こえてくるのはヴィヴァルディの「四季」の冬の部分だ。気持ちが落ち着いて、どこまでも見渡せる空と雪の情景がそこにはあるようだった。寒いとばかり思っていた冬が、一歩足を踏み入れると色々な表情で待ってくれていた。

 

 でもね、マイナス25度は・・・

 

 けれど、マイナス気温も20度を超えると、大変です。

それは、日本の友達と北極圏のはじまりの地、ロバニエミへ旅をした時のこと。

一晩、寝台列車にゆられ、極北の地にたどり着いた。私たちを待っていたのは、生まれて始めての零下25度だった。

 

「寒い!」という言葉は吹き飛んでしまった。寒い以上に、寒い!のだ。

もしも、北海道や東北で生まれ育っていたなら、きっとあの寒さを表現する言葉を発せられたのかもしれない。

 

 もう一つ、友達と笑いながら気づいたことは、「バビブベボ」が言えなくなったことだった。口が思うように動かなくなった。北の人々の言葉は、あまり口を動かさずにもいいようにできていると、誰かから聞いたことがある。真偽のほどは定かではないが、確かに気温があまりにも低いと顔の筋肉を動かすのも、なかなか大変なものだとその時は実感できた。

 

 なので、ここはもちろん、一個人の勝手な解釈なのだけど、フィンランドの冬は

「-3度から-10度くらいが、一番気持ちがいいような・・・」気がする。

でも、きっとどこかに-20度が好きな人もきっといるはず。

 

(永井涼子)

 


2011年12月20日 11:05

 一昨日、「Craft spaceわ」のクリスマスの催しへ行ってきました。本物のもみの木のクリスマスツリーからは仄かな芳香がただよい、フィンランド伝統の藁でできた飾りが星や人の形をしてゆれていました。いただいたグロッギ(暖かいぶどうジュースにシナモンなどを加えたクリスマスの飲み物)は、冷えた身体を温めてくれました(美味!)。

 そして、上山美保子さん(翻訳者・通訳者)がフィンランドのクリスマスのお話をしてくれました。歴史や伝統にまつわるお話は、とても興味深いものでした。

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「さむがりやのサンタ」を胸に

 

 子供の頃、好きだった絵本に「さむがりやのサンタ」というのがあった。寒いのが苦手で、ベッドから出るのも一苦労のおじいさんというひとコマから始まる、イブの日のサンタを描いた物語だ。まずはトナカイなどにご飯をあげてから、自分のために紅茶を湧かしハムエッグを作る。日常の細かいところまで描いていたから、手を伸ばせば本当に届きそうな気がした。そして、トナカイのそりに乗ったサンタが空へと滑走していくシーンがでてきて、いつも読んでいるこちらまで空に飛び出したような清々しい気持ちになったものだ。

 

[1] 作者は、レイモンド・ブリックス。日本では福音館書店から1974年に出版されています。http://www.fukuinkan.co.jp/bookdetail.php?goods_id=519

 

 それから大人になって、「サンタの国」と呼ばれるフィンランドで軽いホームシックのようなものにかかった。その時、なぜか無性にこの絵本が読みたくなった。サンタといえば、フィンランドだ。だからこの絵本は必ずあると思い込んでいた。だが、どこの本屋さんにもなかった。図書館でも見つけることはできなかった。少し不思議だったが、その時は諦めた。後日、絵本は結局日本から送ってもらった。

 

 絵本が届いて、2人のフィンランドの友人に絵本を見せた。「この絵本はまだフィンランド語に訳されてないみたいなんだ。本屋を探しても無かったよ」と私は言った。2人は絵本をパラパラとめくって、「あぁ、これはフィンランドのサンタじゃないね」とサラリと述べた。サンタは世界共通だと思っていたので、私の脳裏を一瞬のパニックが掠める。が、この絵本の作者はイギリス人で、じつは絵本のサンタはイギリスサンタなのだった(かといって、この絵本の魅力が損なわれることは決してないのだが)。2人いわく、「フィンランドのサンタは、決して煙突からやってくることはない」のだそうだ。きっと、フィンランド人にはこの絵本のサンタは違和感のあるもので、だから訳されてはいないのだろうと言っていた(確かに、同じ作者[1]の他の名作、例えば「スノーマン」は翻訳されて、本屋さんに置いてある)。フィンランドではサンタは、24日に直接会える人であり、しかもプレゼントを子供も大人も分け隔てなしにくれる。どういうことなのかというと・・・。

 

 24日、家族みんながそれぞれに贈り物を用意してこの日を待ち構えていた。そして、それらは綺麗に包装されてツリーの周りに置かれている。けれど、クリスマスのご馳走をおなか一杯に頬張った後、ふとツリーに目を向けるとプレゼントはなくなってしまっている、でも、慌てることはない。しばらくすると、玄関を叩く音がする。扉を開けるとそこには白い髭をたくわえ、昔々のフィンランドの茶色い服を着た(そう、赤ではないのです!)、サンタが立っている。「ヒュヴァー ヨウルア!(クリスマスおめでとう)!」と、高らかに叫ぶ。それから、暖炉のある居間などに通されて、みんなに贈り物を渡していく。その時も「アンナ、さてどこにいるかな?いい子にしていたかな?」とか、「お父さん、これはあなたにじゃな」などなどサンタらしい気の利いたことを言って渡していく。サンタはこの家の誰かに似ているような気もするけど、みんな(大人も含めて)とても嬉しそうに「わー、すてき!ありがとう!」と、無邪気に喜んでいる。オレンジ色の蝋燭の明かりに照らされた家族みんなの顔は幸せそのもので、やっぱり好きだったあの絵本の雰囲気と重なるなと、心密かに思った。

 

 サンタの行ってしまった後、数時間後、真夜中のミサに行くのが慣わしだ。眠いのだけれど、凍てつく空、星がやけに輝いている雪道を通り、村の教会へでかけていく。私はクリスチャンではないのだけど、参加させてもらったことがある。教会で、この日ばかりはみんなとても穏やかないい顔をしていた。そんな人々を見ていたら、やっぱりこの日ばかりは世界中の人が笑顔で、幸せあってほしいと、初めてそんな気持ちになった。教会の外では、雪が静かに星明りを浴びている。そんなイブの夜だった。

 

(永井涼子)

 

 

 

 

 



 


2011年12月 8日 03:30

「パンケーキの思い出」

 

最近、フィンランドの童話を読んだ。

そのなかにとても食いしん坊な王様の話があった。その王様は、いつもコックが腕によりをかけたご馳走ばかり食べていた。が、ある日のこと、王様は何も美味しいと感じられなくなってしまう。「苺ジャムをかけたパンケーキすら」という記述があって、それが王様の病気(?)の深刻さを表している。

 

パンケーキ、日本ではおそらく食べるとしても一年に一度くらいなのではないだろうか。なので、王様がパンケーキを食べられなくなったとて、悪いけどそこまで同情はできない。一方のフィンランドではパンケーキといったら、一週間に一度は食べているのではないかしらというくらい人気がある。じつは通った大学の学食では、木曜日は必ずパンケーキと豆スープというメニューがあった。他にも2・3別メニューはあるのだが、見ていて大抵8割強の学生は迷うことなく豆スープとパンケーキのセットを選んでいた。しかも苺ジャムは自分でかけてよく、誰もがたっぷりとパンケーキにかけていた。

 

けれど、パンケーキがお店やレストランなどで食べるたまさかのご馳走という訳ではもちろんない。逆に、「誰も」が上手に作って食べる気楽な美味しいものという感じがした。ここで、なぜ「誰もが」と力説してしまうのかというと、それは遡ること数年前に実感してしまったことにある。少し昔話なので、お話のように紹介してみたい。

 

あるところにフィンランド人の男の子がいました。彼は学食が充実しているのをいいことに、いつもお昼は学食で、山のようにジャガイモをお皿に載せて食べていました。夕ご飯は、簡単にパンにチーズを挟むだけの簡単なものですませてしまうのが常でした。この男の子の作戦は、学食でがっちり食べておけば、夜に手の込んだものを作らなくていいということに他なりません。

 

しかしそんなある日のこと、彼のお姉さんが日本人の友達をつれて遊びにやってきました。夕食時になり、二人はお腹が空いた、と大合唱を始めてしまいます。困ったのは、男の子です。「僕、あんまり料理好きじゃないし、冷蔵庫にもそんなに食べ物ないよ」と心の中で思いました。でもこのままではいけないと、男の子は日本人の前に小麦粉・牛乳・卵をボーンとおきました。そして日本人の女の子は、パンケーキを作り始めました。が、どうもうまくいきません。小麦粉を入れすぎてダマになり、牛乳を入れすぎて生地はすっかり台無しに。それもその筈、子供の頃から便利なホットケーキミックスに慣れすぎていたのでしょう。フライパンで焼いても、生地はちっとも固まってもくれません。

 

見かねた男の子は、さも慣れた手つきで小麦粉を生地に加え、フライパンをびっくりするくらい熱く熱し、そこにトロリと生地を流し込みました。いい匂いがしてきます。結局男の子は見事なパンケーキをお皿に山のように作ってくれて、みんなで美味しく食べました。もちろん空っぽに近い冷蔵庫には、大きなビンに苺ジャムが入っていたので、それをたっぷりつけることも忘れないで。 チャンチャン。

 

 当時、驚いたのはあんなに料理嫌いだと思っていた男の子ですら、鉄でできたフライパンを持っていて、パンケーキを美味しく焼けるという事実だった。このことは、いかにパンケーキがフィンランドの食文化に深く根ざしているかを教えてくれた。なので、話は最初に戻るのだけど、王様がパンケーキすら美味しいと感じられない病気はフィンランドの人ならきっと「それは、大変!」と、心底心配してくれるものなのだと思った。

                        (永井涼子)

 


2011年10月13日 01:32

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 秋になると、紅葉が待ち遠しくなります。

そんな"紅色"、一色の刺繍にフィンランドで出会いました。フィンランド語でkäspaikka(カァスパイッカ)といい、フィンランド東部の伝統的な手芸です。綿や麻の布地に、赤い糸だけで縫っていくシンプルなものですが、どこか懐かしい感じがします。

 

 古くから、女性たちは家事や仕事の合間をぬって作っていました。基本の模様は鳥と木なのですが、作り手の自由な発想によってさまざまな形になっています。似ているパターンはあるけれど、きっとまったく同じものはないのでしょう。鳥は、ずっと昔から使われてきたモチーフなのだそうです。卵を産むことから、""をあらわしているようです。木は、この地方の民間伝承から「生命の木」と呼ばれています。亡くなった人の魂がこの木をつたって、天へと昇っていくと信じられていました。

 

 またこの地方(フィンランド東部)はロシアと隣接することからも、ロシア正教の影響が強い地域です。作品を見ると、鶏によく似た鳥の中に十字架が描いてあり、そんなところからも宗教的な意味合いがうかがえます。もともと、イコンの枠上を飾り、洗礼式には神父さんの手を拭くものでした。 他には、お客さんにナプキン代わりにあげて、パンくずなどが床に落ちないようにするという使い方もありました。あとは、お嫁入りの時には、お嫁さんが何枚も手作りでこしらえたものが、相手の親戚への贈り物となりました。これで、お嫁さんの手芸の実力のほどが計られたのでした。

 

伝統的な美しい作品は、ヴイルッキさんの手工芸博物館のホームページをどうぞ。http://www.kolumbus.fi/virkki-museum/kaspaikat.htm

 

 ちなみに、週末「芸術の秋!」には遠く及ばないのですが、昔のフィンランドに思いを馳せつつ、作ってみましたkäspaikka。といっても、大きな作品の一部分だけ好きなところを抜き取った、とても小さなものです。たまに針が指に刺さりながらも縫い、鶏君が姿を現しました^-^   (永井涼子)

 

 

 

 

 

 

 


2011年10月 5日 09:51

 毒を食らわば

 

前回に続いて、今日もキノコの話題です・・・。

秋口なると、書店によくキノコの本が平積みにされるか、あるいはキノコ本コーナーができあがっていたものです。いろいろな種類の本がありました。ポケットで持ち運べるものから参考書タイプのものまで。なかでも、キノコの美味しさについて星印(☆)で表しているものはけっこう面白かったのです。

 

 たとえば、最高点の星5つはカンタレッリについていたけれど、松茸には2つしかついていないのにはびっくりしました。じつは、日本で採れるものと同じ種類の松茸が北の地域にはえています。ただあまり、フィンランド人に好んで食べられてはいないのだとか。松茸はフィンランド語で良いにおいのするキノコという名前なのだけど、どうも敬遠されているようです。

 いつの日か森で、「松茸しかとれなかったよ、トホホ。捨ててやる(!?)」なんて言っているフィンランド人に出会えたら、喜んで引き取ってあげたいものです。と、永谷園のお吸い物くらいしか松茸経験(経験と数えていいものか・・)のない者は浅はかな夢をみているのでした。

 

松茸の地位はそんなに高くないのに、とても人気のある毒キノコがあります。春先に生えてきます。フィンランド語でコルブァシエニといい、直訳すると「耳キノコ」という真っ黒なうねうねしたキノコです。猛毒があって、そのまま食べると肝臓機能が麻痺し、死に至ってしまうこともあるという恐ろしい代物です。 

http://users.jyu.fi/~kalasalo/ope/opteht/op2/materiaali/esimerkin_tiedostot/korvasieni/

 もちろん、フィンランド人にだけ猛毒を受け付けない細胞やDNAがある!という訳ではなくて、手間ひまかけて毒をとります。一握りのキノコに対して、大鍋いっぱいの湯に浸し、そして冷水につける。この作業を最低でも3回やらなければいけないそうです(なかなか年季のいる難しい作業とのこと、間違っても素人がひとりでやってはいけないと、フィンランド人のおばさんに口を酸っぱくしていわれました)。

 

 市場でも売っていて、何度か買ってみようかと思いをめぐらせたのですが、結局、実行にはいたりませんでした。万一毒にあたってしまったら、「よっぽど食べてみたかったのね、可哀相に。食べること大好きだったものね」なんていうのが、人生最後に下される我が評価になってしまうかもしれません。

毒を取ってまで「食べたい」なんて凄い情熱だなと感心していたのだけど、先日フグ風味のお吸い物(あくまで風味だけです、残念ながら)を飲みながら、ハッとしました。「あ、ここにもそんな人たちが・・・。」

(永井涼子)


2011年9月23日 02:54

 

 

 

kantarelleja.jpg 「誰にもいわないで!」といわれ、約束したことが何度かある。それは決まって秋のことだった。

白樺の葉がレモン色をしてくると、秋のはじまりだ。この季節のお楽しみはなんといっても、キノコ狩りだろう。

 

キノコのなかでも、フィンランド語でカンタレッリと呼ばれるものは人気が高い。よく成長したものは狐色で、形は手をすぼめて外側に少し傾けたようなかんじだ。足は、すっとほそく、空洞になっている。バターをフライパンにとかし、軽く胡椒と塩をふるだけでおいしいキノコだ。

 

さて、秋がやってくると、このキノコのために森へと出かけていく人は多い。

ここからが話のみそなのだが、どうやらみんな自分だけの採り場所をもっているようだ。このキノコは毎年同じ場所にでてくるので、一度見つけてしまえばしめたものだ。かつてのルームメイトは、「昔から、家族代々の場所がある。他の人には言わないの」と、言っていた。こんなこともあった。ある時、友達のおじいさんがキノコ狩りに誘ってくれた。彼の秘密の場所までたどりつくのに、なんと車で2時間もかかった。森を歩きながら、おじいさんの奥さんが「この場所は、私達くらいしか知らないのよ。内緒にしてね」と、いわれた。

 

korissa oleva kantarelleja2.jpgせっかく教えてくれた場所も生まれながらの方向音痴が災いして、いまとなってはどこであったのかさっぱり分からない。森の奥で、キノコがひっそりそんな私を笑っているような気がする。

 

(ちなみに、このキノコは日本語ではアンズダケといいます。残念ながら、あまり食べられていないようです。お店でも見たことないですし。)

 

(永井涼子)

 

               


2011年9月 6日 17:45

パートナーを選ぶ時。生まれも育ちも違う二人が、初めて一緒に生活をすることになって、お互い戸惑うことが多々あるでしょう。同じ国の相手でもそうなのだから、異国の人だったら、風土も文化もまったく違うのだから、さぞかし、と思います。今回の永井さんも文章は、その辺りを垣間見ることが出来て、興味深いです。

 

 

 

 太陽の夏、友人Aさんはフィンランド人男性とめでたく結ばれた。だんなさんは日本料理をつくるのも、食べるのも大好きな人だ。遊びにいくと、二人で台所に立っているという微笑ましい光景をよく目にする。そんな二人だが、お互い相手の行動に、驚きと戸惑いを隠せないこともあると語ってくれた。

 

 まず、奥さんから。

たとえばだんなさんはシャワーを浴びた後、速攻で靴下を履く。これが、日本人の妻にはちょっと許しがたい行為にみえてしかたがない。なんといっても、それは湿気大国ジャパン出身者である。「お風呂上りに靴下をすぐに履くなんて、まるで水虫さんいらっしゃいといっているようなものよ!」と、最初はやめさせようと四苦八苦したらしい。

が、かたやだんなさんは"カラッと乾燥ならびに冬はさむいよ"王国の出だ。そこでは部屋にタオルを濡れたままほっておいても、紙のようにパリパリに乾き、長い冬には、冷えることこそ命取りなのだ。母親から、「早く靴下を履かないと、風邪をひくわよ!」と、きっと何度も言われて育ったことだろう。一分一秒でも足先を早く暖めることの大切さは、もうすっかり染み渡っている。二人はフィンランドに住んでいるし、後日、奥さんは気にしないことに決めた。

 

 一方だんなさんにとっても、妻との間でのりこえなければいけない壁がある。それは、卵ごはんのことだ。自分の妻が生卵をごはんにかけて食べてしまうことに、はじめ驚愕の表情を隠せなかった。そう、フィンランド人を前に卵ごはんを食べていると、「サルモネラ菌がいるかもしれないよ、大丈夫?」と不安げな表情で見つめられることがよくある。

奥さんは、"卵とご飯のうみだす絶妙なハーモニー"を連れ合いにも理解してほしいと、切望していた。何度か、「あなたもいかが?」と誘ってもみたが、いまだ成功していない。

 

だが彼は最近、すき焼きと生卵の関係はみとめてきたのだそうだ。"卵ごはん"への道を歩みだす日もそう遠いことではない(かもしれない)。

 

(永井涼子)

 


2011年8月31日 11:38

今日で、8月も終わりです。
今年の夏休みは、いかがでしたか? しばらく、お休みしていた永井涼子さんの寄稿が再開しました。


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 ある去りゆく夏の日、猫シッターのお鉢が回ってきた。それは、旅行へでかける友人などのかわりに、泊りがけで猫の世話をすることをいう(通いもある)。夏をことさらに謳歌するフィンランド人にとって、どうも町で暇そうにしている留学生がいるとなれば、白羽の矢はいとも簡単に立ってしまう。

 

友人宅は、ヘルシンキから長距離バスにゆられて30分ほどのところにあった。緑あり自然あり、歩いて5分ほどで湖にもいける。小さな都会のアパートにいるより、はるかに居心地がよさそうだ。猫を飼ったこともなくその点は少々不安だったけれど、「なんとかなるさぁ」と快諾した。

 

 さて、元気よく旅立つ友人一家を見送り、はじめての猫生活がはじまった。猫は2匹だ。1匹は、もう年寄りでひがな一日丸くなっている。もう1匹は、体は大きいがまだやんちゃな子猫だった。野ネズミやスズメを捕まえては、毎日誇らしげに見せに来るので、こちらはいつも肝を冷やした。じつは、老猫と子猫はいっしょにしてはいけないというのが、友達がでかける前に言っていたこの家で唯一のルールだった。老猫は長年きずきあげたテリトリーを侵されたくないのだろう。いつも老猫のいる部屋のドアは閉めて、2匹が鉢合わせしないように気をつけなくてはいけなかった。

 

2匹の関係はスリリング極まりなかったが、家は新参者にとっては居心地がよかった。他人が泊まるといっても、何も特別なことをされていない空間が広がっていたのだ。ことさら大掃除をされていたわけではないから、こちらも汚してはいけないという緊張感を持たずにすみ、「何でも自由に使って。友達を呼んで、いっしょに寝泊りすれば」との言葉も、大いに気を楽にしてくれた。そんな姿勢を、なんだか大らかでいいなと感じた。

 

お言葉にあまえて後日、友人を町から呼んでみた。最初は、フィンランド人のように軽やかな姿勢でいようと思っていた。が、気がつけば猫の毛玉が気になり、マットをはたきモップまでかけている自分がいた・・・。

 

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2011年7月19日 03:55

 

 

 夏真っ盛りのある日。シロクマくんがわが家へやってきた。

彼は、フィンランド人で乳白色の肌をしている。背も大きくて、ひょうひょうとしている。そんなところが白熊に似ていた。そんな彼が生まれて初めて、日本のお風呂に入ることになった。

 

 時は夕刻。シロクマ君がお風呂からでたら夕ごはんを食べようと、私たちは準備万端、待ちかまえていた。ところが、いつまでたっても彼は出てこない。「もしかして、のぼせて倒れているのでは!」と心配になり、声をかけに行く。お風呂の扉越しに、「大丈夫?」と聞いてみる。すると、「へ、大丈夫だよ。 何?」と、ご機嫌な返事が。「そうか、そうか。やっぱり、シロクマ君はお水と仲良しなのね。」、と納得して、私はまたテーブルにつく。結局その1時間後、やっと彼はさっぱりとした顔でお風呂から上がってきた。

 

 「なぜ、そんなに長いことお風呂に入っていられるのか?」、いつも烏の行水といわれる私には不思議でしかたがなかった。後に知ったのは、シロクマ君がずっと湯船につかっているのではないということだった。じつは、彼はこんな湯の入り方をしていた。

 

1.湯船に入る(その際は窓を全開にしておく)。

2.ちょっと暑くなったと思ったら、お風呂場に上がって涼む。または、体にお水をかける。

3.また湯船につかる。(1~3を何度か繰り返す)。

 

 この入り方、気づけばサウナの入り方とそっくりだ。サウナで十分に温まった後、ほてった体を冷やしに湖で泳いだり、バルコニーで涼んだりする。体が冷えてきたら、再びサウナへ。これを延々とくりかえす。

 

 そう、彼はお風呂をサウナと同じ感覚で入っていた!そして、まるで山深い温泉にいるかのように我が家の小さなお風呂を楽しんでくれたのだった(そういえば、温泉に入る時は日本人も、でたり入ったりを繰り返す)。彼の無意識な行動が、サウナと日本の温泉文化をも結び付けたようだと、私には感じられた。

 

 このできごとから学んだこと。それは、「サウナが好き」という土台があったから日本のお風呂にあんなにも愛着を持ってくれたのかもしれないということだった。そして、フィンランド人にお風呂に入ってもらう時は、「時間はたっぷりと取っておくべし」という教訓を密かに胸に刻んだのだった。   (永井涼子)