CRAFT SPACE わのBLOG

ミカエル・アグリコラの日 Mikael Agricola

2011年4月10日 00:05

 ミカエル・アグリコラの日 Mikael Agricola

 

 今日は、満開の桜を見ました。まだまだ大変な春ですが、桜を見るとほっとしますね。

さてさて、今日4月9日はフィンランドではミカエル・アグリコラさんの功績をたたえた記念日です。彼がどんなことを成しとげた人なのか、ちょっぴり当時の背景もかいつまんでお伝えしようと思います。

 

 彼は1510年に、裕福な農家に生まれました。一家には他に3人の娘さんがいたそうで、そのなかでミカエルくんはすくすくと利発な子供に成長していったようです。彼はその賢さから学校へ通う機会にも恵まれました(当時、農家の子供が学校に通うのは、かなり珍しいことだったようです)。その頃学校では話したり、ものを書いたりするのはラテン語でした。またフィンランドは当時、スウェーデン王国の支配下にありスウェーデン語で国が動かされていた時代です。フィンランド語は、民衆が家庭や市場で使うものでした。人々は自分たちの言葉で手紙や本を書けるようになるとは、きっと想像すらしていなかったのではないでしょうか。

 

 そんななか、ミカエルさんは勉強を続け牧師さんになり、1536年にドイツのヴィッテンベルク大学へ留学します(26歳のときですね、若い。)当時そこは宗教改革の真っただ中で、彼はマルティン・ルターとも親しくなることができました。ルターさんに「普通の人がラテン語ではなく、自分の毎日使っている言葉で聖書が読めたらとってもいいね」というようなことを言われて、若き日のアグリコラ氏はとても感銘をうけたそうです。そしてラテン語で書かれた新約聖書のフィンランド語への翻訳にとりかかることになるのです(新約聖書の訳は1548年に完成)。他にもABC本というつづり方や数字の書き方、簡単な説法が書かれた本とRucouskirja bibliasta(聖書より祈りのための本)を出版しています。

 

 ただひと口にフィンランド語を書き表すといっても、はじめての試みには難問がぎっしりあったようです。アグリコラ氏が四苦八苦しながら工夫して書き表したフィンランド語は、その後も改良を重ねられて現在に至っています。

 

スウェーデンとロシアという大国に挟まれ、時に支配を受けながらもフィンランド語を「書き言葉」としてもう一段上へと押しあげたアグリコラさんでした。パチパチ。

                                              永井涼子 


■トラックバック(0)

トラックバックURL:
http://www.craftspace-wa.com/admin/mt/mt-tb.cgi/42

■コメントする