舩木倭帆(ガラス)

ガラス作家が自分専用のガラス溶解炉を設置した工房を持って制作活動をするのは、今でこそ当たり前ですが、これは1950年代後半にアメリカで起きたスタジオガラス運動以降のことです。それ以前は、ガラスは企業の工場で製作されるものでした。舩木倭帆先生は、いち早くこの運動を取り入れ、個人の工房で自作による自由な創作を続けてこられたスタジオガラスの先駆けであり、第一人者です。

先生の作られた日常の器は、形が美しく、また、使いやすいことで定評があり、先生の誠実なお人柄も加えて、大勢のファンがいらっしゃいます。

2012年の暮れに従来の仕事をすべて止め、13年の夏には、窯を壊して、今後は、もっと小規模な制作を…と、計画されていた中、その年の11月10日に急逝されました。大変、残念であり、寂しくてなりません。

 

 

 

 

舩木倭帆の作品